私がまだ編み物教室に通っているころ先生から紹介されてどうしても欲しくて欲しくて購入した本があります。その時「この本は一生ものよ。大事にしなさい。」と言われた本があります。
当時はまだ学生の17歳。当時は教室の月謝や糸代などすべて親がかりのためおこづかいも少なく、それまで物を買ってとも言えずにいましたが、欲しくてほしくて「買ってくれてもいいじゃない」と頑張り通して買ってもらったのを覚えています。そのせいもあってか何度かの引っ越しをしていますがまだ手元にあります。その本の名は
「アラン模様のすべて」です。
その中に{アラン模様の歴史と島の紹介}があり、アラン島を訪ねた村上一郎という方の文章が載っています。
それを読むとアラン島には36年からさかのぼること20数年前にオーシャハー氏という実業家(弁護士でもあり著述家)がゴルウェー・ベイ・プロダクトと称する会社を設立しアラン島の婦人たちの編んだセーターを一手に扱った。この方の立場はイニシュマン島内のマネージャーにあたり注文はこの方を通してニッター達に行くと。人口240人程の島でプロは24名。プロがセーター一枚編むのに1週間ほどだったそうです。日本のように基本的なパターンはあるけれど厳密には同じものは2つとなく人それぞれ違い、画一的な模様は土産物にされる大量生産品になるとのことです。糸もそのころには本土の量産品を使用しており手紬はしていなかったそうです。またそれより50年前までは男性も編んでいたそうです。産業として発達したのもオーシャハー氏が島に来た時からなど
短い文章ではあるんですがちょっと垣間見たような・・・
そして、考えを改めさせられたような・・